カメラを片手に

遠く若草山の移り変わりと、花々などちょっとした出来事などを綴ります。

高山の櫻山八幡宮へ

今朝も晴れて4.1℃迄下がるも、穏やかな秋の日差しで18℃迄上がった奈良です。

            10時、10.2℃、68%

 

NHKラジオ深夜便今日の誕生日の花は「ハナカタバミ・花酢漿草

南アフリカ原産の多年草カタバミ科カタバミ属の栽培種で多年草、江戸時代末に観賞

用に輸入され、紡錘形の塊茎によって増えることから、その後野生化した。

高さ10~30㎝、茎、花柄、葉柄などに細かな毛が密で、小葉は長さが約4㎝、葉の縁に

細毛がある。7~10月が花期で、その花は直径約3㎝で、花の中心部が黄色であり、5個

の花弁の縁が深く重なり隙間がない。雄蕊は2段につき、雌蕊はその下につく。

花言葉は「決してあなたを捨てない」

      

先日あいにくの雨の中、、岐阜県高山市の「櫻山八幡宮」を訪れました。

宮川から参道があり、大鳥居です。

      

一の鳥居

 

高山祭屋台会館の前付近から本殿を望みます。

 

拝殿前にはモミジのハートが、そして菊が飾られ

1877年一枚の石から掘られた「大手水鉢」、寒澄清徹と彫られ、花手水となる。
明治の大火からの復興のため、1879年に奉納された

 
桜山八幡宮神門は切妻、銅板葺き、一間一戸、四脚門。

 

境内は荘厳な雰囲気漂い、さすが秋の高山祭(八幡祭)の例祭の場所ですね。

桜山八幡宮の創建は仁徳天皇の御代(377年頃)、飛騨に現れた両面宿儺(2面4手4足の妖怪

)が朝廷と敵対した為、征伐の勅命を受けた難波根子武振熊命が応神天皇の御霊を勧請し

戦勝祈願したのが始まりと伝えられている。

平安時代に八幡信仰が栄え、八幡神が信仰され、戦国時代の大永年間(1521~1527年)に

は京都・石清水八幡宮から分霊し勧請合祀されている。

戦国時代の兵火で一時荒廃するも、元和9年(1623)高山藩3代藩主金森重頼が再興し、

高山城の城下に流れる江名子川に流れ着いた木像を桜山八幡宮の御神像として社殿を

再建し安置された。その後高山北部の産土神にも定められ、元禄5年(1692)に高山藩が

廃藩になった後も、歴代飛騨天領代官、郡代が崇敬庇護した事で社運が隆盛した。

 

1971年に再建の本殿・幣殿・拝殿は、造営木造平屋建て、入母屋、正面千鳥破風、
銅板葺き、平入、桁行5間、正面3間軒、唐破風向拝付き、外壁は真壁造り板張り。
 ご祭神:八幡大神応神天皇)、
  相殿:熱田大神日本武尊命)・香椎大神(仲哀天皇神功皇后

境内の末社
武勇の神・歯の神の「照前神社」

      

菅原道真公をご祭神とした「天満神社」、

      

 

五穀豊饒・商売繁盛・養蚕・各種産業の神「稲荷神社」、

      

海上交通安全の「琴平神社」、

      

 

そして一の鳥居付近に明治8年の大火で唯一残った火防鎮護の神「秋葉神社」です。 

      


参拝を終え、降りて社務所前から望めば、紅葉が最後の輝きを放っているよう。